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今年もよろしくお願いします☆
明けましておめでとうございます☆ 昨年は初ヨーロッパ旅行で、 イギリス=ロンドン&コッツウォルズ地方を巡ってきました。 (結局旅日記更新せぬまま年が明けてしまった…) 何から何まで美しい景色、建物に感動でした。 日本で例えると、東京の大都会の隣に北海道の大自然! そんなイメージでした。こんなんで伝わるか…。。 Tちゃん、Mちゃん、お世話になったW夫妻ありがとう! 7月には一昨年の甥っ子に続き、姪っ子ちゃん誕生☆ すっかり"オバ"バカしております。 また、何よりも忘れてはならぬ大震災。。 昨年は未曾有の大震災で、心が落ち着かない日々も続きましたが 改めて"日本人パワー"を例年以上に感じる1年でした。 新しい年の平穏を願いつつ、 皆様のご多幸をお祈り申し上げます! 今年もどうぞよろしく! 梱包の怪。うそーん。
昨日、家に帰ると玄関にドドーん!と 大きい段ボールの箱が置いてありましてん。 ドドーん。(注:写真は玄関ではありません。) 「?」こんない大きなもの頼んだっけ?と思いながら 段ボールを開けてみると おぉ〜なにやら厳重な感じに詰め物が。 壊れ物でしょうか。はて。 さっそく上の詰め物をどかしてみると、 なんということでしょう! 再びの段ボール! 初めて見ましたこんな梱包。段ボールin段ボール。 マトリョーシカシステム! 取り出した少し小振りになった段ボールの箱。 あら可愛らしい。 (更に小さな段ボールが入っていることを密かに期待しつつ) 開封すると 再びの詰め物。厳重です。 これで何も入っていなかったらそれはそれで かなり面白い郵送物だったのだけど、 詰め物をどかすと見えてきちゃいました。依頼物。 そうです!本!本を4冊頼んだのです! 段ボールの隅に若干雑?に束ねられた本4冊。。 これだけの梱包をするのであれば、 ここをピッチリしましょうや。と思うのは私だけ? と思いつつもなんだか爽快感。笑 だって、この本のためにこの段ボール。笑 マトリョーシカ 詰め物もこーんなにたくさん! この本のために…。 送料無料だから良いんですけど…。 何か、現場で何かあったのです? 段ボールのサイズがあわなかったのかなーと思ったけれど それだったら中に入っていた段ボールで良い気がするし… 最終的にたどりついた結論は、 プチプチ切れ かな…。 あー面白かった。 店員さんのお話。
わーーー!気付けば9月から更新なし。。 で12月に入ってしまった!1年はやっ! 最近めっきりTwitterでコトをすませてしまってましたん。 そんな訳で久々の話題は、 今日アウターを買いに行ったお店で 接客をしてくれた店員さんが心地よかったというお話。 ![]() かつて私は洋服屋の店員さんがとても苦手で 今思えば、ひっじょーにヒドイ対応をしていました。 話しかけないでオーラびんびん!とか、 話しかけてもらっても会釈のみで会話をしないとか…。 ホントゴメンナサイ。。 そんな私も自分自身接客業を経験してから 気持ちも入れ替わったのと(現金な人間…)、 年を重ねたことにより(?) 今はむしろ店員さんに積極的に話しかけるようになりました。 だって相手は私なんかより遥かに服に詳しく 着こなしセンスもある方たちばかり。服に疎い私、 これは色々と教えてもらえるチャンスではないですか!と。 それでも今も、ちょっとしつこいなぁとか、 ひとまずは自由に見せて下さい、、。 と言いたくなる店員さんも多いです。 こちらが一瞬でも手に取るもの次から次へと矢継ぎ早に ステキでしょ?と促して下さるタイプの方 こういうタイプの方が未だに少し苦手です、、。 ほんの少しの間でもいいから、眺めている時間を頂きたい。 今日の店員さんは、そういうことがなく、なにより 試着後の意見が、非常に誠実というか、お世辞がない。 (いや、ある程度お世辞は入ってるでしょうが。笑) 無駄にお似合いです、って言ってくれない所がとても好印象☆ 服に関しても、迷いがあった私に"高いか安いかではなく、 身体に合ったモノを選ぶのが大切だと思う"とヒトコト。 それも押しつけではなく、私はこう思うんですけどねー。って。 だから高いものを薦めるってことではなくむしろその逆で。 親身になって私の身体や、顔の見栄えがするモノを アドバイスしてくれました。 話を聞けば、ご本人自体、洋服屋さんでの接客が嫌いだったとか なるほど、、気持ちが分かるからこそのこの接客なんですな。 趣味や、なにか根本的なモノが近しい方だったというコトも あるのかも知れないけれど、終始心地良く 楽しく買い物をすることが出来ました。楽しかったー。 何が心地よかったのか、帰ってきてからも 考え直してみたのですが、人とお話するって、 心があるって、こういうことなんだろうなぁ、って なんだかしみじみ考えてしまった出来事でした。 にんにん。 風水鬼っ子☆
昨日は母方の祖母の一周忌でした。早いものです。 ちなみにこの"一周忌"、うちでは"いっすいき"と言ってます。 変換しても出てこないので、?と思い、たった今調べたら これ、甲州弁だったんですね。わおびっくりー。 孫も全員集まり、1歳8ヶ月と2ヶ月のひ孫2人も参加☆ 賑やかで、祖母も喜んでくれたことでしょう。 ※矢吹ジョーヘアーの甥っ子 さてさて無事に法要も終え、親戚一同で会食をしていると 義姉がテケテケとやってきて、母、私、従兄弟に プレゼントをくれました。 甥っ子や姪っ子への贈り物のお礼とのこと〜。 真珠のめぐみソープと(うるおい補給がむばります。泣) このかわいい黄色い鬼☆をもらいました。 ![]() カワイ過ぎ!(>▽<)/ 義姉、私の好みをよ〜く熟知してくださっております。 「風水鬼っ子」のこの鬼ちゃんシリーズは これだけの種類が居るようでそれぞれ勝負運、健康運など 相性のいい方角に置くと願いが叶うかも…?とのこと ![]() 私のところへやってきたのは"楽太郎" 義姉曰く、全鬼の中で、態度が私にあっていた。と。 (・_・)ん? ![]() 金運の鬼ちゃん。ゴロリと寝転がって果報を待ってます。 あ、でもただ待ってちゃ駄目ですよー。 やるべきことをやったなら、じたばたせずに後は待つのみ! ってね。 義姉あっきぃありがとー☆ ![]() 横バージョン。ポストカードにしたい。むふふ。 オクラ事件:続報
昨日のオクラ事件。 友人Aコップからも「オクラにあんな部分はない!毛虫だろ!」 的な、ありがたいコメントを頂きました。 確かに、いくら元気の良いうちのオクラと言えど あそこまで剛毛なウブ毛ってのもおかしくはないか…と 家族でも議論になりまして 新たに本日収穫された我が家のオクラ。 ![]() ね、すこぶる元気なんです。そしてデカい。 ![]() 昨日私の喉から収穫された物体に近い部分を、、と、 オクラをくまなく眺めまわしてみると…ありました… あの様に固く長いトゲが連続してピンピンと出ている箇所が。。 そうです、ガクです! ![]() ![]() 調理途中であじのたたきの中に迷いこんだオクラのガク。 運悪く飲み込んでしまった私。 こりゃ刺さるわ。 ということで、これにて一件落着。にんにん。(古) オクラ事件。泣
本日奇妙な事件を起こしました聖です。 骨が、アジの骨が刺さったんです。喉に。 珍しく調理場に立った父がさばいてくれたアジのたたき。 時々小骨が出てくるも気をつけながら食べていた最中 イタッ! 喉右奥側に嫌な痛みが走りました。小骨がささったようです。 うがいをしても、何をしてもとれず、 吐き出す唾液にわずかな血液すら見て取れる…。ヤヴァイ。泣 ときおりくるチクッ!と言う痛みに 食後のテンションだだ下がりのまま、 お腹の痛みのように、寝たら治ることを信じ就寝するも 今朝になっても症状は変わらず…。 諦めて近所の耳鼻咽喉科へ行ってきました。 診察室へ入ると先生が「骨ですか〜」と一言。 割と慣れた感じでおっしゃるので一安心。 まずは目視、舌をひっぱられ、目視。発見出来ず。 鼻からスコープを入れ探してもらうも、発見出来ず。 でもこちらの先生、諦めずに凄く熱心に診て下さり、 再度舌をひっぱりながらの目視へ…。すると 先生「ん?… …これか?? ??」 と不思議がる様子の声。 ピンセットを取り出し何かを引っ張り出す先生。 取り出されたのは、緑色のトゲトゲ物体。 ![]() 先生「これは、なんだ???」 周りの看護士さんたちも目を見張る。 聖「…ぁあ! オクラです!(T▽T)/」 一同どどどっ。笑 確かにアジを食べる前に食べたんですオクラを。 我が家のオクラは自家製で、ウブ毛がめっちゃぴんぴん元気。 …って自慢するところじゃないんですが。。。 塩ずり仕切れていなかった先端部分のウブ毛が まんまと私の喉にフィット。いや、グサッと刺さっていた様で。 若干喉の痛みはまだありますが、これにて一件落着。 皆さん、オクラのウブ毛には気をつけてくださいね。笑 ![]() ちなみに初診のお医者だったこともあり、診療費4,000円…。 高くついたなぁ、このオクラの破片。 OZmagazine -晴れたら、鎌倉-
OZmagazineが好きなのであります。 誌面に流れる静かで穏やかな空気感と綺麗な写真たちを 眺めているだけで充実した気持ちになります。(単純なので) ちょっと古いのですが、2010年6月号の鎌倉特集を元に、 めちゃくちゃ暑かった先日(激汗)、鎌倉散策をしてきました☆ 普段あまり行かなかった鎌倉駅の南側周辺 (由比ケ浜大通りー御成通りあたり)へ。 このあたりは何故か雑貨やカフェなど ステキで個性ある店舗が多く点在していました。 オススメのお店いくつかピックアップでご紹介〜。 かわいらしくオサレな北欧雑貨のお店。 店主自らが愛情込めて育てた美味しい野菜を メインとしたイタリアン。素材の味が生きてます! ソムリエでもある店主は独特なテンポを持つ面白いお方でした! こちらはネットで見つけて気になっていたお店〜。 正直HPの方が雰囲気が良かったのですが(笑) 掘り出し物が見つかるかも☆ 趣味の合う4人の女性が集まって始めた雑貨店&カフェ。 今回のメインの目的はココでした! 何度も足を運びたくなるお店でした。 ステキポストカード。かわいいグラスも買いました☆ ![]() そしてココも是非訪れてみたかった北鎌倉の 改装された古民家のステキカフェ。 ![]() 既に暗くなってから足を運んだのですが、 庭に漏れる店内のあかりの雰囲気がとても心地よく こんな場所がアトリエだったら最高よね。と 友人と話しつつアイスコーヒーを一杯。 多分、春の昼、夏の夜、秋の夕方、冬の朝 なんてのがこのカフェに行くのにいい時間帯かと。 そんな気がするカフェでした。 次回はデザートなんぞ食してみたいですん。 鎌倉、何度行ってもいつ行っても新しい発見。 飽きない町ですのん。のん。 終戦の日 -続・祖父のコト-
リクエストを頂きましたので、前回の日記につづき、 祖父の軍歴資料を全部記載します。 非常に長いので、ご興味ある方のみご一読くだされば幸いです。![]() 皆さんは戦争について、どれくらい知っていますか? 恥ずかしながら私の知識は本当に薄いです。 でも年をとって、改めて祖父のことを想ってみて、 自分が進んで知る・選ぶ事が出来る情報が多くなった今、 せめて自分の国が関わった戦争がいかにして起きたのか、 どういった意味を持つものだったのか、 もっと知らなければならないと思いました。 20代を、日本の為、家族の為、戦いの中で生きた祖父。 敗戦後、信じていた教育や思想が180度違ったものとされ、 大きな屈辱も味わったことでしょう。 戦争を美化したい訳ではありません。 でも、日本人としての誇りを持って、 あの時代を生きた人々皆に、今、畏敬の念を抱きます。 二度と不条理な戦争の悲劇を生まない、 平和な世の中でありますように。 軍歴 1937年(昭和12年)1月10日 20歳 現役志願兵として近衛輜重兵聯隊(このえしちょうへいれんたい)に入隊し、輜重兵二等兵として教育訓練を受ける。 同年7月10日 輜重兵一等兵に進級し、下士官候補者班に編入され特別教育訓練を受ける。当時、富士滝ヶ原厩舎において厩営演習中、支那事変勃発の報に接し急遽厩営演習を取止め、東京目黒の兵営に帰還し支那事変勤務に従事した。 同年11月1日 陸軍輜重兵学校下士官養成科(在世田谷区)に入校し教育を受ける。 同年12月1日 輜重兵上等兵に進級し、伍長勤務を命ぜられる。 1938年(昭和13年)4月30日 21歳 陸軍輜重兵学校下士官養成科を卒業し、聯隊に帰隊した。 同年6月1日 輜重兵伍長に任官し、同日附で聯隊本部附書記を命ぜられる。 同年12月1日 輜重兵軍曹に任官する。 1939年(昭和14年)6月 22歳 北支那派遣軍の交代兵員85名を宰領し、東京発、大阪港で乗船し、唐沽に上陸、天津、済南、徐州を経て海州で兵員の引渡しを終り任務終了し、帰路は天津、山海関、奉天を経由し南満州鉄道特急「アジア」で釜山に、次で海路門司に着き東京の聯隊に帰着した。 同年12月1日 輜重兵曹長に任官し、同日附で営外居住を許可された。業務は聯隊本部書記として、庶務事項一般、日々命令、教育関係事務等を行った。 1940年(昭和15年)6月3日 23歳 近衛師団に出勤命令が下令され、6月27日東京港で乗船出発し、陽動作戦のため揚子江を遡航し7月7日中支漢口に上陸して待機したが、作戦変更により7月10日再び同地で乗船し進路を南にとり、南支蚊虫山に上陸して南寧に前進、同地に駐留し聯隊は兵力および軍需物資の輸送業務に従事した。 同年9月15日 勅令第580号により階級の名称が変更され、輜重兵曹長が輜重兵陸軍曹長となった。 同年11月 南寧撤退作戦が実施され、聯隊は南支中山県壕頭に転進移動し、近衛師団はここで機械化師団に改編されて馬匹は全部内地に送還し、それと引替えに自動車が補充された。師団は6ヶ月の日時を限って兵員に自動車の操縦、積載、卸下その他必要の訓練を実施した。 1941年(昭和16年)7月 24歳 第3次近衛内閣が退陣し東条内閣が組閣されて、政府は南方進出の政策をとった。この政策の一環として近衛師団は南部仏印進駐作戦に参加することになり、海南島の三亜港に集結して外交交渉の成り行きを見守りながら戦闘準備の完璧を期した。遂に平和進駐の交渉が成立し、軍司令官から「外交交渉に成立し、刀に血塗らずして南部仏印に平和進駐することを得たるは、誠に欣快事にして皇恩正に無窮たるべし…」という訓示が示達され、輸送船は海軍艦艇護衛のもとに二列縦隊で船路堂々と前進。 同年8月 仏印「サイゴン」に上陸、同地に駐留して師団輜重としての任務を遂行する他、飛行場整備業務にも大いに精励した。また、この頃天皇、皇后両陛下が侍従武官をご差遣になり、師団長以下将兵に対し山縣有光侍従武官より聖旨と皇后のお言葉が伝達され、将兵の感激は誠に大きなものであった。 同年12月 米・英国に対する宣戦布告を予期し、近衛師団は第22軍司令官の隷下で12月5日の夜より作戦行動を開始して仏印と恭国の国境を突破、前進に前進を続け首都バンコクに到着し、ここで次の行動の準備を行った。 その後約1週間の後、近衛師団は第22軍司令官の隷下を脱して第25軍指令官山下奉文中将の隷下に入り、マレー半島政略作戦に参加した。バンコクから恭国とマレーの国境ハジャイまで汽車輸送、ここで戦列に入り西海岸道を近衛師団、中央道を広島の第5師団、東海岸道を久留米の第18師団の宅見歩兵団長指揮の宅見支隊が受持ち、進撃に進撃を続け遂にジョホールバールに到着した。 この間敵航空機の来襲も多く、また、ムアル河を夜陰に乗じて工兵隊の鉄舟で渡河する際は、敵空軍が照明弾を次々に投下し真昼のような明るさの中で桟銃掃射を繰り返し、ムアル河口からは英国軍艦の艦砲射撃が熾烈を極め実に困難なものであった。しかし、鉄舟に乗るまで草むらや小木の陰で待機しているとき、河辺の柳の枝にマレー特有の大型の蛍が無数にとまって明減している様は本当に見事なものであり、これをこのまま東京の銀座に移したら見る人がさぞ感嘆するだろうなどと話し合った。また、チーズの缶詰を石鹸と思って捨てた兵がいたのもこの作戦行動中のことである。 遂に世界の耳目を集めたシンガポール島の総攻撃が開始されることになった。ジョホールバールで第25軍は約1週間戦闘準備を整え、後続していた牟田口中将指揮の第18師団、軍隷下各部隊のトラックを総動員した。さらに近衛輜重兵聯隊長が輸送指揮官となり急遽兵力輸送して第1線に加え、左翼第1線5師団、中央第1線近衛師団、右翼第1線第18師団と戦闘配置が決まり、横須賀重砲を基幹とする48ヶ中隊の砲列を敷いて援護射撃準備を整えた。 山下第25軍司令官は隷下全将兵に対して、「シンガポール島の総攻撃を開始するにあたり、忠勇なる吾が将兵に訓示す。夫れ百年兵を練るは今日があるが為なり…」と訓示して総攻撃開始を命令し、自らはジョホールバール王官の望樓上において総指揮をとられた。 戦闘が開始されるや我が軍飛行機の爆撃により島の重油タンクは次々に火炎につつまれ、その黒煙は満天を覆って実に不気味な様相を呈した。軍は陽動作戦のためセレタ軍港に近いウビン島(運河の中)に近衛捜索聯隊を上陸させて敵主力を引き付け、夜陰に乗じてジョホールバールとシンガポール島を隔てる運河の敵前渡河を行ったが、敵が運河に大量の重油を流して火をつけたため火の海となり、それに重桟・軽桟・即射砲の掃射砲撃を浴びせられたので、独立工兵隊が操縦する鉄舟の中で敵弾に倒れる者、大火傷を負う者が続出してその修羅場は酸鼻を極め、我が軍の困難は筆舌につくせなかったのである。近衛歩兵第4聯隊の軍旗が一昼夜行方不明になったのもこのときであった。シンガポール島に上陸して前進し、ブキテマ高地を確保し、更に前進進撃したが密林のため車輛が利用できないので、近衛輜重兵聯隊も各中隊長を先頭に弾薬箱を荷って歩兵第1線に肘力運搬補給をした。我が将兵の奮迅力戦により敵も遂に力尽き、英軍司令官パーシバル中将が降伏し難攻不落といわれたシンガポール島の要塞も陥落した。苦労と困難を極めた末の陥落であったので、敵降伏の報に接した際の勝利の萬歳の歓声はシンガポール島の山野に響きわたったのである。 1942年(昭和17年) 25歳 その後1ヶ月戦場掃除と次期作戦の準備をし、3月北部スマトラに近衛師団が敵前上陸を敢行し、以後メダン市に駐留し師団輜重の任務を遂行した。1940年(昭和15年)6月出勤以来聯隊本部附として、作戦命令、日々命令、陣中日誌、戦闘詳報他、聯隊長側近の業務に精励した。 1942年度少尉候補者選抜試験が陸軍教育総監部によって全国一斉に実施されることになり、聯隊長が受験候補者として選抜して師団長に申達され、同年6月中旬に術科試験2科目(第1日目:小隊長としての戦闘指揮、第2日目:小隊長としての陣中勤務)を、7月上旬に学科試験10課目(第1日目、第2日目共:午前2課目/午後2課目、第3日目:午前2課目、各課目90分間)を受験した結果合格。 同年12月1日 少尉候補者第24期学生として陸軍士官学校に入校し、将校としての○学・術科の教育を受けると共に教養を身につける。 1943年(昭和18年)11月 26歳 同校を卒業。 同年12月1日 陸軍少尉に任官し近衛輜重兵聯隊附に補せられ、マニラ、シンガポールを●●して在地部スマトラの聯隊に赴任し、マニラでの魚雷遷難、聯隊本部の警備・情報主任将校として勤務し、また幹部●●●の試験監督将校を努め、主に第25軍司令官の命により東海岸州内駐留●●●将校下士官兵の簡関点呼(学科、●●、身体検査)が1週間の日時をもって実施された時、執行官の聯隊長について補助官を務めた。 1944年(昭和19年)12月1日 27歳 陸軍中尉に任官し、近衛輜重兵聯隊副官に補せられ、聯隊長の秘書、庶務全般、●●行動企画、人事全般の業務を務める。 1946年(昭和21年)6月29日 28歳 ベルリン? 同年10月10日 ベアリン? 同年11月4日 捕● 1948年(昭和22年)1月6日 30歳 ●● 黒丸●部分は筆が乱れていて良く読む事が出来ませんでした。 おそらく、1948年30歳でベアリン?から帰ってきた模様です。 戦争と祖父のこと
唐突ですが、これはうちの祖父です。 私が中学2年の時に大動脈瘤の手術で亡くなりました。 とても厳しく、常にビシッッッ!とした人で 入院前には身の周りのものを綺麗に整理し、 「じゃ、行ってくるよ」と出かけて行きました。 成功率が低い手術だなんて思ってもいなかった私は あ、行ってらっしゃーい。くらいの気持ちで送り出し 祖父は帰らぬ人となりました。 そんな祖父は生きている際、 戦争時代の話は一切することはありませんでしたが、 去年の夏、「歸國」というドラマを見たのをきっかけに 急に祖父の戦争時代の足跡が気になった私は 母がひっぱりだしてきた、祖父が書いたという軍歴資料と、 陸軍士官学校という本を読むことになりました。 非常に長い文章だったので、全ては記載出来ませんが、 祖父は1937年19歳の時に志願兵として 近衛輜重兵聯隊(このえしちょうへいれんたい)に入隊し、 (輜重兵とは部隊の移動に際しての糧食、被服、 武器、弾薬などの軍需品を輸送する任務を専属とする兵) 教育訓練を受け、支那事変へ。 輜重兵陸軍曹長として1941年からマレー作戦に参加。 軍歴資料の中のマレーでの出来事について、 祖父はこう語っていました。 近衛師団は第22軍司令官の隷下を脱して第25軍指令官山下奉文中将の隷下に入り、マレー半島政略作戦に参加した。バンコクから恭国とマレーの国境ハジャイまで汽車輸送、ここで戦列に入り西海岸道を近衛師団、中央道を広島の第5師団、東海岸道を久留米の第18師団の宅見歩兵団長指揮の宅見支隊が受持ち、進撃に進撃を続け遂にジョホールバールに到着した。この間敵航空機の来襲も多く、また、ムアル河を夜陰に乗じて工兵隊の鉄舟で渡河する際は、敵空軍が照明弾を次々に投下し真昼のような明るさの中で桟銃掃射を繰り返し、ムアル河口からは英国軍艦の艦砲射撃が熾烈を極め実に困難なものであった。 本当に祖父が?こんな体験を?? 高校の修学旅行でひめゆり部隊の方の話を聞いた時と同じ、 いや、それよりも不思議な気持ちでした。 戦争は良くない!二度と繰り返してはいけない!! と思いはするも、やはりどこか遠い歴史の中の出来事の様な そんな気持ちすらしてしまう、戦争。兵隊。 それを身近な祖父がこの様に経験している事実。 その文章はこう続きます。 しかし、鉄舟に乗るまで草むらや小木の陰で待機しているとき、河辺の柳の枝にマレー特有の大型の蛍が無数にとまって明減している様は本当に見事なものであり、これをこのまま東京の銀座に移したら見る人がさぞ感嘆するだろうなどと話し合った。また、チーズの缶詰を石鹸と思って捨てた兵がいたのもこの作戦行動中のことである。 情景が目に浮かぶようで、どこかクスッとしてしまいますが そうなんですよね、みな、普通の若者達なんですよね。 今の世の中にしてみたら、高校生や大学生に刀や銃を持たせ、 命をかけて戦ってこい!!!と、、そういうことですもんね。 祖父はその後、シンガポール島の戦いを経て 24歳で陸軍士官学校に入校・卒業し、 陸軍中尉になり、庶務、人事全般に関わったとのこと。 どうやら凄い早さで昇進している様が読んでとれたので おじーちゃん、賄賂かなんか?と突っ込みたくなりましたが いえいえ、おそらく、祖父のことなので、日本のために 懸命にマジメに頑に任務に従事してきた結果なのでしょう。 終戦後、祖父はどのような気持ちで 日々を生きてきたのでしょうか。 戦争に対して、どのような想いを持っていたのでしょうか。 「歸國」ではないですが、今の日本はどううつりますか。 この年になってようやく、祖父とじっくりと 話がしてみたいなぁと感じています。 生きていたら94歳。 怖かったけど、笑うと真っ赤なほっぺがぷくっとなる かわいいおじいちゃんでした。 ところで、陸軍士官学校の本に 訓練の様子が載っていたのですが、どういうこと… 余裕で4mくらいある高みからどんどか飛び降りています。 降りた後、しゅたたたたと走ってはしごを上って また飛び降りてるっぽいす。。 こちらはもはや状況が分かりません。 とにかく尋常じゃない訓練だったことは伺いしれますが、 日本男児みんなこんなに運動能力スゴイの? 戦争はもちろん反対ですが、この厳しい時代を くぐり抜けてきた人の忍耐力は半端ないですよね。 世のお爺ちゃんお婆ちゃんに敬意を表します。 暑中お見舞い from小栗麗加さん
ぅあ!と言う間に8月…。。。。 6月に行ったイギリス旅行記も書けぬままですが、、 昨日、我が家にまたも素敵なお届けものがきました!!!!! 何やら届いたそのカワイイ小包を開けると… バビン! ![]() 1月23日の日記で紹介させて頂いた小栗麗加さんからの 暑中お見舞いでした!相変わらずステキ過ぎます。号泣 白雪姫のおうち。家の中がどんな様子なのか 想像がかきたてられます。動物達の後ろ姿がかわいいこと。 お手紙には、このblogの小栗さん紹介記事を読んで下さったと ありました。(勝手にバンバカ画像を載せてしまって 申し訳ありません!でもどうしても紹介したくてー。) これだけでも嬉しさ炸裂なのに、今回は更に絵本が2冊。感動。 最近新しい本を出されたそうです☆ ![]() 「プリンセススクール3 いちばんのお姫様は?(上)」徳間書店 「プリンセススクール4 いちばんのお姫様は?(下)」徳間書店 本物のお姫様と、お姫様になりたい女の子たちが通う お姫様養成学校のお話! おとぎの国のお姫様たちが勢揃い☆ これから、ありがたく読ませて頂きます!ワクワク。 ![]() 自慢。むふふ。 ![]() しかも日付が文通のきっかけをくれた母の誕生日。わー。 こんなイラスト描けたら、世界中に自慢して歩きます。 そして小栗さんの絵を目にするたびに、 自分がイラストレーターだなんて名乗ること自体 申し訳ない気分になります。。精進精進。 ![]() ![]() (またもたくさん画像を載せてしまいました。) さらに今回のお手紙には、初ランチのお誘いまで! ギャポーーーーーーー!嬉し過ぎて死にます。。。 ごれれれれ、連絡させて頂きます! 1 >>
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